2010年09月10日 8時06分

加悦SL広場 正面

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平成18年9月24日の「加悦SL広場」です。
●広場の駐車場からの全景です。
 建物の後ろに保存車両が少しだけ顔を出しています。
●画面右側の建物は旧「加悦駅舎」ではありません。
 似てはいますがそれを模して建てられたものです。

そうなんです。
実は4年前、私は新設の「加悦SL広場」に行っているのです。
(CM明けまで視聴者を引っ張ろうとするテレビ屋の習性?)
この日、私にとって最後に残っていた未乗のケーブルカー
「丹後海陸交通 傘松ケーブル」に乗車し、
その足でここを訪ねました。

この時私は、日本を代表する絶景『天橋立』観光に行こうと
家族を連れ出し、見事「最後に残っていたケーブルカー」を
乗破したのです。
家族への奉仕と「鉄」の両立には工夫が必要という事例です。
※この旅行は自家用車で行きました。
 私の「乗り鉄」で、往復『自家用車』は後にも先にも
 これ1回限りという記憶です。

一方、「加悦SL広場」は、『家族の温情』により
1箇所だけは「行きたい場所に行っても良い」となって
偶発的に“鉄分補給”に立ち寄った場所でした。
※家族旅行であっても「鉄」分ゼロは例外中の例外なので、
 適度な範囲内なら概ね理解をしてくれています。
 しかし“鉄分”が多くなると、不機嫌になる恐れがあるため
 いつも注意深く行動しています。

それゆえ、元々ここに来る予定が無かったため、
「加悦SL広場」については何も下調べを
しておらず明らかに準備不足でした。
(ガイドブックに数行書かれていたのを見ただけでした)

その結果、ここに到着して初めて
『あれっ?何か変?』
『ここは以前、「加悦駅」のあった場所ではない?』と
気付いたということでお分かりいただけますでしょうか。

2010年09月09日 18時02分

加悦鉄道「加悦駅」正面

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フィルムのネガを見ていたら
加悦鉄道を撮影した際の最後のほうに
この「駅正面」の写真が入っていました。

大正15年の開業時に建てられたもので
実に堂々としており、また気品と風格を感じます。

この加悦駅があった場所は、
現在「京都府与謝野町役場加悦庁舎」になっており、
その加悦庁舎と道路を挟んだ場所に
何と取り壊されるともなく、この駅舎が移設され、
加悦鉄道関係資料が展示されているそうです。
(「鉄道ダイヤ情報」9月号の記事による)
つまり、この写真の建物は今も現存しているのです!

古い!使いにくい!残す意味は?保存にお金がかかるなどと
切って捨てるのはとても簡単なことです。
しかし、時代の荒波を超えたこの駅舎のような貴重な財産が
修理され、整備されて未だに活用されているのは
文化と文明を後世に伝えるということで
大きな意味があると思います。
再び加悦の地に降り立ちたいと願っています。

(追伸)
9月5日UPの地下鉄の「踏台」について貴重な情報を
当日の“コメント”でいただきました。
もしもよろしければそちらをご参照下さい。
また今朝UPした内容についても早速“コメント”を
頂きました。ありがとうございました。
私の返事が遅れることがあるかもしれませんが
その節はご容赦下さい。

(追伸2)
昨日の深夜、中京地区限定ですが中京テレビの番組
「アナアナ商会」に「芸能界鉄道研究会 鉄研」メンバーの
三根さんと南田さん、それとうちの尾原アナが出演し、
熱い「鉄」トークを展開しました。
ご覧になった方は限られていると思いますが
司会の『本田恵美』『本多小百合』の両アナ、
SKE48の3人は話しの展開についていけませんでした。
当たり前と言えば当たり前ですが…。

2010年09月09日 9時00分

加悦鉄道の車内乗車券

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私が「乗り鉄」に没頭していた頃、
全ての会社・路線までとは言いませんが
『車内乗車券』(加悦鉄道では「鉄道車内券」)を
結構購入しています。

何故か?
理由は簡単で、通常、その会社の全駅が記載されているのと
運賃が一目で分かるからです。

また4月14日にこのブログでUPした
今はなき「福井鉄道南越線」も記載されている
福井鉄道の車内乗車券もそうですが、
私にとっては大切な歴史の生き証人です。

この一枚から当時の最低運賃が40円で
最高運賃が120円ということだったり、
丹後四辻〜丹後三河内は3駅乗っても最低運賃で
駅間距離が他の区間に比べて短そうということが
わかります。
また全7駅の内、3駅に『丹後』がついており
それは「「何故だろう」という歴史ロマンの世界が
広がってきます。(やや筆が滑っています)

今では、ローカル私鉄の殆どがワンマンになり
車内乗車券を見ることがあまりなくなってきました。
寂しい限りですが、こればかりは致し方ありませんね。

2010年09月08日 18時46分

加悦鉄道「加悦駅」構内U

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旧加悦鉄道の「加悦駅」構内は、こうして見ていると
宝の山だったことを感じます。

今回UPしている写真を撮影した時点から9年後の
昭和60年の加悦鉄道全廃時、
単に加悦鉄道の乗車・撮影だけが目的ではなく
これらの展示車両を目的にした“鉄道マニア”も
多く来訪したと聞いています。
※昭和世代はやはり“鉄道マニア”ということばが
 しっくりきますね。

因みに右側の小さなDL(DB201)は
1953年『森製作所』製。
その後ろの気動車(キハ101)は1936年『日本車両』製。
左側の気動車(キハユニ51)は同じく1936年
『日本車両』製。
更に後ろに見えるのは…、はっきり言ってキリがありません。
全て、今も「加悦SL広場」に展示されていますので
一度足を運んで、そしてじっくり見てください。

2010年09月08日 9時00分

加悦鉄道「加悦駅」構内 重要文化財が?

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昭和51年8月21日の加悦駅構内。
奥から「2号」「4号」「1261号」の
当時であっても超一級の古豪たちです。

「2号」は、今の『加悦SL広場』とは違い
他の機関車同様、野天で展示されていました。
この機関車が英国の最古参機関車メーカーにより
明治6年に製造され、現存する日本で2番目の
蒸気機関車であるとは露とも知らず、
平成17年に「123号機関車」として、
国の重要文化財に登録されるような歴史的な価値があるとは
思いもよりませんでした。

改めて写真を見てみれば、
可愛らしい愛嬌のあるデザインの中にも
文明開化の時代を走り抜けた貫禄のようなモノを感じます。
※「当時も本気でそう思っていましたか?」と
 自分で突っ込みを入れてみたりして…。

その手前の2両にしても、
九州の肥薩線で「SL人吉」を牽いている
8620形と同じ世代の歴史的機関車たちです。

(余談)
文化庁の「国指定文化財等データベース」で
「123号機関車」を検索しても出てきません。
それでも加悦SL広場のみならず与謝野町の資料が
誤っていることは考えられません。
そこで「国宝・重要文化財」(美術品)⇒
「重要文化財」(歴史資料)⇒「京都府」と行って
やっと見つけました。
「123」ではなく正式には「一二三号機関車」だったのです。
道理で「検索」に引っかからないはずです。ということは…。
各所で掲出されているほぼ全てのデータが
“登録名称”を使っていないことになります。
一方で、この機関車は『美術品』に分類されていることにも
違和感があります。学術的にはよいとしても…。
特に名称の件、皆さんは如何思われますか?
私は文化庁の登録名称を使用すべきと考えます。

2010年09月07日 18時14分

加悦鉄道「加悦駅」

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昭和51年8月21日、
「丹後山田」を11:35に出た『キハ08 3』は
「加悦」に11:52に到着。

折り返しの12:25まで構内で撮影をしていました。
※今の「加悦SL広場」が出来る前も
 加悦駅には古豪たちが展示され
 一般に公開されていました。

今回、このブログを書くに当たり
加悦駅舎の写真を改めて見ましたが
私が「乗り鉄」で訪問した全国各地の駅の中でも
その優美な姿は群を抜いていると感じました。

また駅舎と客車を改造した気動車とのマッチングも
最高ですね。
とはいうものの訪問時から既に30年以上が経過し、
今日のこの日まで記憶の片隅から消えていました。

考えてみたら当時は、ただただひたすら全国の鉄道を
乗りつぶすことだけに専心しており、
回りを見渡す余裕がありませんでした。

2010年09月07日 9時05分

国鉄宮津線丹後山田駅の入場券

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昭和51年8月21日の国鉄宮津線『丹後山田』駅の入場券。
『丹後山田』駅はその後、平成2年に宮津線が第3セクター、
北近畿タンゴ鉄道宮津線になった際に
『野田川』駅に改称されました。

国鉄・JRが第3セクターで再出発した際に
駅名を変えることはままあったと記憶していますが
この『丹後山田』もその一つでした。

●一般論として、駅名を変えるということは
 国鉄明知線「明知」駅を、本来の地名『明智町』に合わせ
 明知鉄道「明智」駅とした事例のように
 必然性があったからなのでしょうが
 そのままでも良かった駅名もあったのでは…。

それはさておき
この『丹後山田』駅は、京都府野田川町(当時)にあったから
その代表駅としての駅名変更と推察されますが、
平成2年に変わっているということもあって、
昭和の時代の終焉という感慨を私は持ってしまいました。
※旧国名“丹後”を使っていたところなど、私のつぼに
 はまっていたのですが残念です。

2010年09月06日 18時08分

国鉄宮津線丹後山田駅

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昭和51年8月21日、
場所は国鉄宮津線丹後山田駅です。
●今、この駅自体は存在していますが駅名が変わっています。
 その話しはまた明日にでも。

この日は、この「丹後山田」から
加悦(かや)鉄道に乗り「加悦」まで
5.7キロを乗車しました。

「丹後山田」の駅名看板の向こう側に
「加悦鉄道線のりば」の看板と加悦鉄道の列車が見えます。

〔8月21日のここまでの行動〕
小浜線の小浜を7:56の934レで出発し、
そのまま舞鶴線に入り、綾部下車9:53。
(小浜線完乗)(舞鶴線完乗)
綾部発10:14の11D「あさしお1号」で折り返し
西舞鶴から宮津線に入り、天橋立着11:09。
天橋立発11:20、331Dに乗り継ぎ、
丹後山田には11:30着でした。
加悦鉄道の加悦行きは11:35発。
乗り換え時間、僅か5分ではありましたが、
この写真を撮るくらいの余裕はありました。

※カラーネガの保存状況が悪く、これでも若干の色補正を
 していますが、ここが限界でした。

2010年09月06日 9時06分

われらが「DJ」!

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我々「鉄」の世界で『DJ』と言えば
交通新聞社発行の「鉄道ダイヤ情報」。
決して『ディスクジョッキー』ではありません。
●8月29日の「芸能界鉄道研究会 鉄研」出演メンバーによる
 トークショーの中でも、この『DJ』話しが出ました。
 メンバーは『DJ』『DJ』と普通に話しを進めましたが
 途中で「鉄」では無い方に向け、『鉄道ダイヤ情報』という
 雑誌だという説明をしていました。
●私は『DJ』を定期購読していませんが
 何故かここ1年分は手元にあります。
 鉄道雑誌としては後発ですが、読者は比較的若い層が
 多いと聞いています。
 因みに私は情報量の多い「臨時列車運転情報」より
 巻末の「ダイヤグラム」に惹かれています。

さて本題。
写真の9月号は「北近畿の鉄道,再発見」特集でした。
そして、この号の40ページから「加悦SL広場」の特集があり、
これを読んでいるうちに、
以前、加悦鉄道が現役だった頃のことを思い出しました。

しばし加悦鉄道の話しにお付き合い下さい。

2010年09月05日 19時05分

名古屋市営地下鉄 これが「踏台」

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ホームと線路の間にあって、
ケーブル類の下にあるのが多分、「踏台」。
今朝の「踏台」表示の反対側にあったのがこれです。

写真では分かりにくいですが1段だけで、
皆さんなら分かっていただけると思いますが
線路面とホームの間は結構な高さがあります。

それを『途中1段だけ』で上がるのは
なかなか体力がいることでしょう。
それでも“ある”と“無い”では大違い、
特に『咄嗟』の場合は必需品であることは間違いなし。

でも、この駅でも「踏台」は何箇所もあるわけではなく…。

「東山線」「名城・名港線」は、ホーム面の高さが低いので、
まあ、踏台がなくてもホームに上れそうですから
その両線では見かけないですね。

今日は鉄道施設の中でも、もの凄く裏方の話しで失礼しました。

2010年09月05日 8時07分

名古屋市営地下鉄 駅の踏台

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乗車位置を示す「8 優先席」の表示板の下に
「踏台」の文字を見つけました。

この表示は、私の知る限り、名古屋市営地下鉄の全ての駅で
見かけるものではないと思うのですが、
如何でしょうか?

駅で、線路の下に降りる必要があった場合等に、
ホームに上がる際に使われるモノですが、
ならば何故、全ての駅にないのでしょう?

この写真がどこの駅かはさておき、
他の駅にもあるのか私なりに探索してみようか
思っています。

2010年09月04日 19時03分

名古屋市営地下鉄の不思議

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以前、漫才師の春日三球さん・照代さんのコンビが
「地下鉄の電車はどこから入れたの?
それを考えていると一晩中寝られない。」という
漫才で一世を風靡しましたが
私にとって「一晩中寝られない」地下鉄ネタが
名古屋市営地下鉄のこれ(かな?)。

電車の中で「運転士さん」「車掌さん」がいる場所の
正式名称はなんなのでしょうか?というものです。

名古屋市営地下鉄の場合、“立ち入り禁止”なのは
運転士さんのいる『運転室』で、
車掌さんがいる『乗務員室』は、立ち入っても良いと
言うことなのでしょうか?
※英文では、「Crew’s cabin」と書いてあるので
 やはり『乗務員室』が正解?

この場所の名称そのものは会社によって
大抵はこのどちらかで呼ばれていると思いますが、
両方の併記は無いのでは?

誰かこの2つの名称を使っている
謂れ(いわれ)を教えて下さい。

もっともシェイクスピアの戯曲「ハムレット」の
『生か死か」というほど大袈裟なモノではありませんが…。

2010年09月04日 8時04分

都電 梶原停留所付近U

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同じく、都電荒川線「梶原」停留所付近です。
昨夕の写真は、正にこの踏切の真ん中に仁王立ちで
撮影したもので、その8800形が
やっと梶原停留所までやってきました。

この写真は、ちょっとスピード感があるような
雰囲気を狙ってみました。
実際には、遮断機の直ぐ右側が停留所なので
スピードは全然出ていません。

最新鋭の8800形はまだ乗った事が無かったので
この写真を撮影して直ぐ、踏切を渡って乗り込みました。
車内レイアウトは他の車両と変わりませんが
新形式の車両への乗車はやっぱ気分が「ウキウキ」しますね。

最新鋭の路面電車は全国どこへ行っても
ヨーロッパのトラムのように本当にお洒落になりました。
一方で、以前のように一目でどこの町を走る電車かが
わかるような個性が減っているような気もします。
(私の認識力が落ちてきた?)
それがちょっと残念です。

2010年09月03日 18時18分

都電 梶原停留所付近

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『都電もなか』を買った帰り道、
ちょっと「撮り鉄」気分を出してみました。
●店を出て徒歩20秒、荒川線「梶原」停留所(早稲田方面)の
 東側にある踏切から「荒川車庫前」停留所方面を望む。

ここは平坦な直線区間が長く、架線柱の並びのシンメトリーが
なかなか面白かったです。
架線柱マニア(がいるかどうかは分かりませんが)には
たまらないのではないのでしょうか?
ただ、電車のタイミングがあるので、
本当はこの写真の逆、向かってくる電車が手前で
三ノ輪橋に向かう電車が奥にある構図を
狙ったのですが、あまりの暑さでギブアップしました。
※ひょっとして、8800形のすれ違い写真は珍しい?

私は、都電撮影の名所を知らないので
ここでも結構大満足でした。

なお、写真は踏切の真ん中に立って撮っています。
安全第一、運転士さんに不安を与えないことに
留意して撮影しました。

2010年09月03日 9時06分

「都電もなか」を知っていますか?

画像
9月1日の続きです。
さて都電に乗って「梶原」停留所で降りた理由は、
この『都電もなか』を買うためです。

停留所から直ぐの「菓匠明美(かしょうあけみ)」さんという
和菓子屋さんが作って売っているもので
都電形の最中が、都電形のパッケージ(全5種類)に入り、
それが10個入るパッケージは、何と車庫形と言う
何とも「鉄」向きの和菓子です。
※10個入りで1450円(税込み)。

たまたま以前、新聞記事で見つけ「いつか行きたい、
食べたい」と思っていました。

皮の中は求肥(ぎゅうひ)と粒餡ぎっしりで
食べ応え十分で美味しかったです。

このお店、地元の大人気店で、お客さんは引っ切り無し。
和菓子屋さんでお客さんが多い店を
最近見かけることがあまりないだけに意外でした。
因みに売れていたのは『都電もなか』だけではありません。
◆『都電もなか』は東京土産として
 都内のデパートでも臨時出店して
 販売することもあるようです。
 とても良いみやげ物と思いました。

私はお酒を嗜みますが、甘いものも得意です。
「ぶらり都電、途中下車の旅」を堪能した半日でした。

2010年09月02日 18時12分

「行楽と鉄道の風景」展U

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今朝の続きです。

「NPO法人 名古屋レール・アーカイブス」は、鉄道趣味の団体としては
珍しいNPO法人です。

その活動として、
鉄道に関する写真や書籍・資料等を集めることが第一ですが、
やはりその活用が大事なテーマとなっています。
※私の会社での仕事は、「著作権」業務が主ですが
 中京テレビが撮影した映像の収集・管理・活用という
 いわゆるアーカイブも担当しており、
 「活用」の大切さは認識しているつもりです。

そこで今回の展示会に繋がる訳です。
写真は、名鉄電車の「観光特急」の写真を集めたもので
このように写真も多数展示していますが、
勿論、写真以外にも様々な資料を展示しています。

個人の撮影・収集の蓄積は、個人の手元だけにあっても
それは次の世代に伝わりません。
そこで個人の蓄積を多数の方から『会』にご寄贈頂き、
そして『会』として体系的に展示することで
各鉄道会社の歴史のみならず、社会や庶民の生活の変遷まで
うかがい知ることができるようになります。

『会』は「こんなものを集めました」と言った
収集家の自己満足型集団ではありません。
「鉄道愛好家」の皆さんに名古屋・栄まで
足を運んでいただき、是非、
貴重な写真や資料の数々を見ていただき
「趣味の世界」を少しだけ超え
単に“懐かしい”にとどまらない世界をご堪能頂ければ
幸いです。

2010年09月02日 8時48分

「行楽と鉄道の風景」展

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私は、「鉄道友の会」をはじめとした鉄道趣味の団体に
所属したことは昨年の春まではありませんでした。
●大学の鉄道研究会にも所属したことがありません。

それが昨年の夏、縁があって今は、
「NPO法人 名古屋レール・アーカイブス」の会員になっています。

この会の目的は一言でいえば
鉄道写真・各種資料・パンフレット・乗車券・
書籍等の保存と、その活用。
そして毎年9月、収集した資料・写真を生かした
展示会を行っており、その第3回目を、
今日から来週の水曜日まで
名古屋市栄の「ギャラリーチカシン」で開きます。
※詳しくは、名古屋レール・アーカイブスのHPを
 ご参照ください。上記のところにリンクを貼ってあります。
※場所は、地下鉄栄駅 東改札口の北/名鉄瀬戸線栄町駅の南。

今年のテーマは「行楽と鉄道の風景」。
※写真は昨日の準備風景です。
皆様、是非お立ち寄りください。

2010年09月01日 18時15分

都電のマスコン

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都電のみならず、運転士さんは普通は手袋をして
運転されていると思います。

ところで今回乗った都電の運転士さんは軍手を加工し、
マスコンにすっぽりはめて、素手で運転されていました。

このパターンは私にとっては『初』で、
興味深く運転を眺めていました。
別段これで運転のし易さや安全の度合いが変わるものでもなく
単に運転士さん本人の選択のようでした。
◆考えてみれば、軍手を手にはめるか、
 マスコンにはめるかの違いで、実質は同じでしょうか…?

まあ、深読みすれば、今年の夏は暑すぎるので
手袋を嫌ったのかも知れません。

ただ写真に撮ってみたら、結構いい味だったので
ここにUPしてみました。
(自己満足です)

2010年09月01日 9時09分

真夏の昼下がりの東京都電

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8月のとある日、東京出張に出かけた時の昼下がり。
打ち合わせが終わったあと、
久しぶりに「早稲田」から都電に乗りました。
◆東京メトロの「早稲田」と都電の「早稲田」とは
 正直言って同じ名前を名乗らないでほしいと思うのは
 私だけ?
 10分歩くと知っている私でも今年の夏は体に堪えた。

で、都電に乗ったのは「早稲田」ですが、
下車したのは北区の「梶原」停留所。
(「王子駅前」から「三ノ輪橋」方面に2つ目)
理由はおって…。

ところで「出張の時に『乗り鉄』することはありますか?」と、
社内でもたまに聞かれます。
その時、私は「あります」と正直に答えています。
但し、「乗る」場合は全ての仕事が終った後。
東京なら、帰りの新幹線に乗る時間を調整して
「新規開業区間」等に乗ったことは何度かあります。
※地下鉄半蔵門線が「水天宮前」まで開業したときに、
 私の「乗り鉄」に付き合ってくれたスタッフがいました。
 その時の彼の感想は皆さんのご想像の通りです。

何せ、業務上「選択肢が無い」中で乗車した鉄道でも
「『趣味と実益』を兼ねている」と言われる私です。
◆ベルギーへ取材に出かけた際、諸般の事情と所要時間で
 成田空港から「エアフランス」を利用したのですが、
 「エアフランス」の場合、パリ〜ブリュッセル間は、
 飛行機ではなく何と『タリス』連絡なのです。
 ※航空券で列車に乗る!
  このことは、チケットの購入時に「エアフランス」から
  説明を受けて初めて知ったのです。信じてください。
◆この後、数年に渡ってその時の出演者・スタッフから
 『タリス』に乗るために「エアフランス」を
 選択したと言われ続けました。
 きっと「タリス」を空港駅で待っている間や乗っている時の
 表情が必要以上に“ウキウキ”していたのでしょう。

まあ、しょうがないですね。

2010年08月31日 18時24分

国・私鉄完乗の日の記録(名鉄の乗車券)

画像
既に日付と発行No.以外の印字が薄れて見にくいですが
55.−8.24の「新名古屋」〜「内海」間乗車の
記念すべき宝物(私にとっては)です。
運賃の『590円』が読み取れますでしょうか?
◆「新名古屋」という表記ももはや懐かしいですね。

この日、新名古屋発10:52
内海着11:59の電車に乗っています。
◆知多武豊まで急行で、そこから各駅停車と
 私の手元のノートには書いてあります。

全線完乗(その時点での)は、絶対に地元で!と
前から誓っていました。
(実は「ジリジリ」待っていたわけではなく確信犯)

そしてその時点で記録用に集めた乗車券808枚、
入場券が1023枚。
参考までに手元の乗車券の運賃の合算は
68万2700円でした。
なぜこんな数字があるかというと
新聞社さんから事前に上記の数字を調べておいてほしいと
リクエストがあったからです。

この日以降の30年間は何の計算もしていませんが
一体いま何枚の乗車券・入場券があって
はたまた乗車券の運賃の合算は?

知多新線の節目の年は、私にとっても節目の年。
特に『8月』にとても大きな意味があります。
全線完乗30周年の今年、このブログを始めたり、
「運転鉄」にはまったり、充実の「鉄」ライフです。

(30周年にあたり、一言)
全線完乗時は独身でしたが、今は家族がいます。
今もこうして「乗り鉄」を続けていられるのは
まずは私に対し“適度に”放任主義の家族の理解です。
これを抜きにして私の「鉄」は存在しえません。

またこのブログ、実は「芸能界鉄道研究会 鉄研」の
レギュラー放送終了後に始めたものです。
番組放送中、ブログ「鉄研AD“さゆみん”の鉄子への道」を
読みながらいつかは私もブログを!と思っていました。
※ADに対抗してどうする!(笑)
それにしても“趣味”のプライベートブログ開設を
社内各部署の関係者の方が認めてくれたのは嬉しかったです。

最後に。
本来ならば最初に書くべきですが、
何より、拙文・稚拙な写真に日々お付き合いいただいている
皆様には大変感謝しております。
このブログを書き続ける原動力になっています。
今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和29年生まれの56歳。昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務め現在は編成局。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。
鉄道歴は小学校5年からスタートし45年になる。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!