2012年05月16日 18時46分

高山本線ローカル列車の旅(12)。

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分水界と分水嶺。その違いは?
広辞苑には、『分水界』とは「地表の水が二つ以上の水系に分かれる境界」とあり、『分水嶺』とは「分水界となっている山脈」とあります。
私にとって、その言葉通りのこれぞ『分水嶺』と感じる場所の一つが高山本線「飛騨一ノ宮」〜「久々野」間の『宮峠』です。『宮峠』から北は「宮川」(※)が富山湾〜日本海を目指して下って行きますし、『宮峠』から南は「飛騨川」が木曽川を経由して伊勢湾〜太平洋に繋がります。
(※)国土交通省のHPでは「宮川」は「神通川(じんづうがわ)」であり、『岐阜県では「宮川」と称し』と掲載されています。
(参考)
「宮川」(神通川)の源流は、『宮峠』からもう少し、西南にある「川上岳(かおれだけ)」です。
一方、「飛騨川」は「乗鞍岳(のりくらだけ)」の麓とされています。

上段写真は、「飛騨一ノ宮」を出て正に宮峠のサミット近くで車内から撮影したものですが、こうして飛騨一之宮の盆地風景を見下ろしていると、蒸気機関車の時代の峠越えはさぞかし苦労の連続であったであろうということが容易に想像できます。
ところで分水嶺は旧の国境(くにざかい)にありそうなイメージですが、ここでは峠を挟んで北も南も“飛騨”というのが面白いですね。

下段写真は「久々野」での特急「ひだ3号」との交換です。時刻表に列車編成表では7両なのですがこの日は8両で、なおかつ平日にも関わらず結構乗客も見かけ、流石にゴールデンウィークと感じ入りました。ところでこの久々野。今は特急も停車する駅なのですが、私が社会人になった昭和52年頃は“急行停車駅”で、“特急停車駅”ではありませんでした。もっともその頃、“特急”はまさに『特別な』“急行”であり、よもや“特急”は走れど“急行”が無い時代(高山本線の話しです)が来るとは想像だにしませんでした。

(お詫び)
本日のブログをUPした時間から約2時間ほど、貼り付けた写真が間違っていたことに気付いていませんでした。
現在は本来のものに貼り直しましたが、間違えた写真は後日UPしようと加工したばかりのものでした。
恐らく同じ写真を2回みることになった方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。


2012年05月15日 19時28分

高山本線ローカル列車の旅(11)。

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海抜573メートルの「高山駅」です。今時、骨董品と言いたくなるホームの洗面所です。因みに3枚ある鏡の一番右端のものに私の体が一部写っています。

この洗面所、前は至る所で見かけたのですが、最近はすっかり見かけることが無くなってきました。思いの他古びてというかくたびれて見えず手入れされてようでホッとしましたが、どれくらい前からここにあるのかは、高山駅を仕事だけでも過去30年以上に渡り、30回以上は乗り降りしているはずの私でも、「物心ついた頃にはありました」としか言いようがありません。
「国鉄時代の産業遺産」として“保護”の対象にしたいと個人的には思っていますが、到底叶わないことでしょう。なお、この意見はあくまでも私・個人の私見です。

でもホーム上の洗面所がこのように、蒸気機関車や夜行列車が無くなったあとも長く残され、使われ、愛されていることは素晴らしいことだと思いませんか?

一方、下段写真は見た通り「駅弁」売り場です。だから何なのだと言われそうですが、驚きだったのはほぼ中央にある4枚のガラスの部分の右側から2番目の部分にある貼り紙です。
内容は「特急『ひだ』2・4・6・8・20号では車内販売を行っておりません」とのこと。
『時代』と言えばそれまでかもしれませんが、午前中&18:45に高山駅を発車する列車には車内販売が無いということになります。いつからそうなっているかについて、私には情報がなく書きようがありませんが、何れにしろそれほど需要が無い証であり、何とも言えない気分に襲われました。

余計な話しでしょうが、500ccのペットボトル飲料が出始めてから、いつも私のカバンにはそれが入っており、車内販売で飲料を買うことが極端に減ったのは確かです。こういうことも小さいことかも知れませんが、積み重なっていったのでしょうか?

2012年05月14日 18時15分

高山本線ローカル列車の旅(10)。

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「飛騨古川」を出て暫くすると『ピンク』というよりも『桃色』と言う方がピッタリの木の畑が目に飛び込んできました。この木は飛騨名産の『モモ』であると私は確信しており、それゆえ『桃色』という表現が相応しいと感じた次第です。
撮影したのは「飛騨国府」〜「上枝」(ほずえ…日本有数の難読駅)の間で、目に付いた最初の畑はカメラが間に合わず、この写真の場所でギリギリ間に合いました。
同じローカル列車の旅でも、冬の飛騨路は「白」のイメージですが、春はこのシリーズの入り口で紹介した『臥龍桜』であったり、季節の「色彩」を感じる旅となりました。

そうこうしている内に、1826Dとしての終着駅「高山」に到着。一番左側の線、駅舎サイドの一番線への入線です。この列車はここから1714Cと列車名を変え再出発です。
因みに2番線に停車中の列車は1711C〜1851Dの「岐阜」発「飛騨古川」行きです。

ところでこれらの列車番号の「C」ですが、いつから始まったもので、「C」と「D」の違いって何だっかが全く思い出せませんでした。JR東海の電化路線では「G」とかもあるので、確か列車名に「C」が付いた場合はワンマン運転の気動車で、「G」の場合は電車のワンマンだったような…等と思いつつ…。
「Wikipedia」の「列車番号の付番方法」で検索したらやはりその様な記述があったのですが、何れにしろその歴史までは捜しきれませんでした。

「鉄」ではない乗客の方にとっては、あまりというより全く実用的な意味合いはなさそうな話しでしょう。まあ車内で列車番号が案内されることは無さそうですから…。

2012年05月13日 17時27分

高山本線ローカル列車の旅(9)。

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平成24年5月2日(水)、「猪谷」発9:11の「美濃太田」行き1826Dは9:55頃「飛騨古川」に到着。時刻表では発時間しか記載が無いため、その時間が定刻かどうかは前後の列車や逆方向に向かう列車の次駅までの所要時間から推し量ることになりますが、間違いなく定時での運行のようでした。

駅舎には上段写真の『海抜493m』『岐阜より151.3km』と書かれた木の板があり、距離は岐阜から富山に向かって徐々にその数字が大きくなっていき、一方“海抜”は分水嶺が『宮峠』(今回の列車を基準にすると「飛騨一ノ宮」〜「久々野」間)となるため、少なくともこの飛騨古川は、高山よりは標高が低いことになります。

ところで何でこの“板”の話しをしているかと言うと、私がこれまでこの存在に気付いておらず、「へーっ。こんなの前からあったっけ?」と思ったことがその理由です。この飛騨古川の町は、有名観光地ということも含めて私は取材で何度も訪れています。その取材の際、車で来ることの方が多かったものの、勿論、鉄路で来たことも1度や2度どころか、少なくとも片手の回数は利用しているはずです。にも関わらず、です。

これまでこうしたモノを鉄道趣味誌でも見かけた記憶が私には殆どなく、もっとも私が知らないだけかもしれませんが…、駅の風景として写真に撮り記憶に残していくことは、駅の歴史を語る上で、きっと駅名標の価値と同等にあると感じました。

話しが遅れましたが、下段写真で出発してゆく列車は、ここ「飛騨古川」で交換の1825D(「高山」発「猪谷」行き)で、定刻は9:56。その時間通りに動き始め、次駅の「杉崎」を目指してゆきました。

2012年05月12日 18時02分

JR北海道・釧路支社の「台湾」ツアー。

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このブログでも何回か紹介させていただいています北海道釧路市の「釧路臨港鉄道の会」の会員の方から一通のメールが…。

その内容はJR北海道・釧路支社が去る3月に釧網本線「SL冬の湿原号」と台湾鐵路管理局の「CK124蒸気機関車列車」が姉妹締結したことを記念して、6月9日(土)の台湾の鉄道記念日に合わせて鉄道ファン向けのツアー「台湾鉄道研修ツアー」を行うと発表したとのこと。

羽田発または札幌発で6月6日(水)〜6月10日(日)の4泊5日の日程となっており、詳しくはJR北海道・釧路支社のHPでご確認頂きたいのですが、このブログをお読みいただいている方に見てほしいのが「釧路臨港鉄道の会」に所属するツアースタッフの方が作成したブログ風私製サイトです。
JR北海道のHPには書ききれないツアーの内容を詳細に紹介しているのですが、これがツアーに参加しない人にも楽しめる読み物になっていると思いました。(私の独断と偏見です…)
「鉄ちゃんだから書ける」と思うか、「鉄ちゃんならでは」と思うか、「さほどでもない」と思うかの判断は皆さんにお任せします。
ツアーの内容ですが、私には「鉄」ちゃん向けツアーでもこれほど現地の協力体制が得られたものはそうそうは無かろうと思うほど魅力的でしたが、時期・料金等ハードルが多く行けそうになく残念です。

なお、今回の写真は以前私が台湾の「乗り鉄」に出かけたときのもので、このツアーの内容とは直接の関連はありません。イメージ写真ということでご容赦下さい。

また台湾在住フリーライター・片倉佳史氏のブログにもこのツアーの記載があり、そちらもよろしけれでご覧下さい。

さてさて鉄道系ツアーで“研修”が付いているパターンを私は初めて見ましたが、受け入れ側である台湾鐵路管理局の協力体制作りの関係かもしれませんね。

2012年05月11日 18時49分

高山本線ローカル列車の旅(8)。

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「風見鶏」のある駅舎の『坂上(さかかみ)』駅は、平成の市町村大合併までは、岐阜県吉城郡宮川村(今は岐阜県飛騨市)の代表駅でした。

(宮川村の思い出)
宮川村の名前の由来は、正に高山本線沿いを流れる『宮川』にあります。その『宮川』沿いに高山本線が敷かれました。それはともかく、そんな宮川村を昭和62年の冬、「ふるさとわが町ベスト10」という東海3県の市町村を巡っていく番組のディレクターをしていた私は、取材のため2度、この村に通いました。(昭和62年3月29日放送)

ここは私の仕事の中でも特に印象が残っている市町村の一つで、人口は確か1400人ほど(昭和62年当時)で、岐阜県では揖斐郡坂内村(今は揖斐川町)よりは人口が多かったものの、山国・岐阜県にあっても人口の少ない方の村でした。

今は雪の季節ではありませんが、高山本線はこの3月までDE15のラッセルが走っていたことで知られており、それだけ行き深い土地柄と言うことなのですが、私の取材した年は正に雪の当たり年で、撮影にあたり、いつもは3日から4日だったロケ日数を増やし、4泊5日かけて撮影しました。それでも毎朝、旅館の前を除雪車がやってくるまで何ともならなかったことはよく覚えています。そんな中、旅館から徒歩で行ける撮影場所には、膝上まであった雪をラッセルしながら向かいました。

そんな冬の時期に取材に行った理由は、やはり『雪』です。そして強く印象に残り、今も覚えているのは『宮川中学校・坂上小学校』に冬の間だけの寄宿舎があったことです。
当時、宮川村では小中学校から離れた地域に降雪時、直ぐ除雪ができないこともある道路があり、そのため週末を除いて家ではなく寄宿舎で生活する小中学生が5人いました。その寄宿舎も道路の除雪作業が、速やかに行われるようになり、昭和62年3月をもってなくなることが決まっており、その最後の子供たちの様子をどうしても取材したかったからです。子供たちの思いも様々でしたが、親からは「これからは真冬でも毎日、子供の顔が見られる喜び」の声があったことが印象的でした。

東海3県は、隅から隅までと言いたくなるほど私は取材に行っており、その場所は、特急で通過してもあまり思い出すことはないのですが、普通列車で通ると何故か胸の奥から当時のことが湧き上がってくるのです。

風見鶏のある駅舎は当時木造で、駅員さんもおられました。

2012年05月10日 18時46分

高山本線ローカル列車の旅(7)。

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こうして平成24年5月2日の『3時間55分の旅』が始まりました。
『キハ48−3814』(美濃太田側)+『キハ48−6809』(猪谷側)の2両編成の車内はご覧の通りのガラガラ。県境を越えたところですので致し方ないのでしょうが・・・、やっぱりしょうが無いですね。

下段写真は「打保」〜「坂上」間で、『宮川』に沿って走る区間です。『宮川』と言えば飛騨高山の街を流れ、“赤い橋”が掛かっている川と言った方がイメージしやすいでしょうか?
あまり意識している人はいないのでしょうが、実は線路からこんなに川が近い区間があるんですね。切り立った岩が連なる“渓谷”とまではいきませんが、山懐に抱かれて高度というか標高を上げていく(稼いで行く)列車の車窓からの風景は、飽きる事がありません。また、この日の朝は6時頃に起床しており、少し早かったので目をつむって乗っているつもりだったのですが、自然の景観はそんな私の考えを認めてはくれませんでした。

2012年05月09日 18時44分

高山本線ローカル列車の旅(6)。

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上段写真は、850Dから撮影したJR東海キハ48形です。850Dが停車した直後に撮影しました。
下段写真は、1826Dが動き始めた直後のスナップです。

この日、850Dは少々遅れており、「猪谷」定刻では9:05着だったのが9:08着でした。ただこの遅れは“誘導信号機”の関係ではなく、始発から遅れ気味で、『速星』で遅れが決定的になっていました。(海外では誤差の範囲というより“定時”ですね)
一方、1826Dは定時の9:11発でいくら目の前の車両への乗り換えであったとしても、3分乗り換えは気持ち的には慌ただしい状況でした。

それにしても、同一鉄道会社の車両運用上の都合で、『車両交換』のため乗り換えたことが何度かありますが、その場合でも、同一ホームの反対番線に到着した車両への乗り換えか、もしくは乗ってきた車両を転線させ、入線してきた車両への乗り替えだったことが多かった覚えがあります。同一線上で向き合った車両の乗り継ぎとは何とも不思議な感じでしたが、きっとここ「猪谷」では日常の出来事なのでしょう。

何を今更の話しですが、富山行きの下り特急「ひだ」は正にこの線路上を走ります。
実際、私は平成22年1月15日に特急「ひだ」でこの線路上を通っています。その線路上で、この光景が繰り広げられていることに私が反応しているのです。

さてさて私の知識不足の感は否めませんが、他の路線でこうした例はあるのでしょうか?

2012年05月08日 18時54分

高山本線ローカル列車の旅(5)。

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列車は“誘導信号機”に導かれゆっくりと動き始めました。が、それからがとにかくスピードが遅い!構内運転扱いのためなのでしょうが、時速は15キロがMAX。
暫くしてやっと「神岡」駅が見え始め、上り本線上に停車する855D(「猪谷」発9:06の「富山」行き)が確認できました。(上段写真)
※855Dは、848D(「富山」発7:21、「猪谷」着8:20)の折り返し列車。

そしてその上り本線に入るのではなく、下り本線に向けてポイントが開かれているのを確認。(下段写真)
下り本線には、これから私が乗り継ぐ1826D(「猪谷」発9:11、「美濃太田」行き)が停まっています。

この後、同一ホームの同一番線上に2つの列車が縦に並ぶことになるのですが、これまで“併結”のためにこうした状態となった経験は何度もあるのですが、併結をしない、しかも“別会社”の車両同士が、同一線路上で出会う経験は今回が初めてでした。JRならではでしょうか。

それにしても“誘導信号機”で誘導される距離がとにかく長いのです。それが最大で6分の所要時間差となっていることが理解できたのですが、「鉄」ではなく、しかもいつも利用している地元の人以外には、この時速15キロはきっと永遠の謎でしょう。もっとも850Dの車内で、『血相』を変えていた(?)のは私だけと見受けましたので、そもそも誰も気にしていなかったのでしょう。

2012年05月07日 19時53分

高山本線ローカル列車の旅(4)。

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850Dに乗ることを決めた時、時刻表を見ていて不思議なことに気付きました。それは「楡原」〜「猪谷」間の所要時間が12分であること。
下り列車の所要時間は8〜9分なのですが、850Dの様な上り列車は8分で走る列車もあれば何と14分も掛かる列車があるのです。

この区間に交換の出来る「信号所」の存在はありません。

頭の中に「???」が渦巻き、取りあえず「車内お立ち台」に立ちました。列車は極めて順調に走り続け、やがて「猪谷」駅の場内信号機のある場所に差し掛かって停車しました。それが上段写真で、見事に「上本」「下本」「上1」の入線できる3つの線路が全て『赤』となっていました。

暫くして「下本」の下にある「下本(誘)」が点灯。(下段写真参照)
つまりここでやっと“誘導信号機”で駅構内に入線することが分かりました。その時点では、何で“誘導信号機”何だろうと思ったのですが、その直後にあまりにも簡単に謎が解け、私の経験不足(これまであまりにも周りに目を配っていなかった事実!)が如実に出てしまう結果が待ち受けていました。

2012年05月06日 19時51分

高山本線ローカル列車の旅(3)。

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笹津駅を出るとトンネルが登場します。
『平野から何の前触れもなく“突入”』というのが富山側から乗車した場合の私の印象です。

それにしても『キハ120−318』(「318」という番号にはあまり意味はありませんが…)の運転士席の横は、ご覧の写真でもご納得いただけると思いますが、まるでパノラマ展望室のようです。もっとも運転士さんの仕事に差し支えるような行動は出来ませんので、『極めて遠慮がち』に、私は私なりに気を使っての撮影ではあります。まあっ、アクティブに行動するような年齢ではないこともありますが…。

さてトンネルを抜けて更に「楡原」駅に向かう線路を、『キハ120−318』は思いの他、軽快に走っていきます。
農村風景がまだ続いているのですが、やはり平野のそれではなく、山里の雰囲気が漂い始めています。

(一言)
今日でゴールデンウィークも終わりです。
皆様の期間中の「鉄」活動は如何でしたでしょうか?私の知人は、家族との時間の過ごし方に相当に配慮したというか苦労し、それでも時間を作り、充実したひと時を送っていたようです。
一方、私はこの高山本線の旅だけではなく、地下鉄桜通線の全駅下車を4日(金)に達成しました。たった1路線ではありますが、何とか『「全駅下車」の第一歩を踏み出した』というのは言い過ぎで、「全駅下車」は単に『時間』とその『使い方の工夫』だけでは到底出来ないことを、当たり前すぎてここに書くのも恥ずかしくなるほど思い知らされました。それに比べれば『全線完乗』は、その一里塚程度の気楽な楽しみであると感じた次第で、まあ「全駅下車」の世界の(気が遠くなるような)凄さを知ったのがこのゴールデンウィークの最大の成果かも知れません。(結構、本音です)

2012年05月05日 18時20分

高山本線ローカル列車の旅(2)。

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高山本線の「富山」〜「猪谷」間を普通列車に乗ったのは私が記憶する限り、初めてのことで、最初に乗ったのは昭和46年(1971年)8月17日で、急行「北アルプス」号でした。その後も特急「ひだ」で通過したことはありますが、“普通列車”の良さは流石にノンビリと風景が楽しめ、窓からゆったりした気分で写真も撮影できることです。

上段写真は、米どころ富山平野の春らしい風景。田植えを前にして水をはったのでしょうか、水面が鏡のようになり、家々を映していました。
またその向こうには山々が聳えて(そびえて)いるのですが、ガスっていてあまりはっきりは見えません。

高山本線の旅の魅力は、何と言っても風景の素晴らしさにあります。海には縁がありませんが、平野から山に分け入り、その山が作る渓谷美も半端な存在ではなく、最後にまた平野に戻っていく如何にも『山国日本』を感じさせてくれるのが私が高ポイントを付ける理由です。

そんなことを考えていたら「笹津」駅に到着。私の眼の前に如何にも古めかしい駅名標が飛び込んできました。JR西日本の定番ではなく、こんな駅名標も残されているんですね。こんな発見も“普通列車の旅”ならではでないでしょうか?それにしてもこの駅名標は昭和4年(1929年)の開業時の名残ということもあり得るのでしょうか?

2012年05月04日 18時10分

高山本線ローカル列車の旅(1)。

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今年のゴールデンウィークは5月1日(火)と2日(水)の2日間も休みをもらっていました。その5月1日の天気予報で富山方面が比較的安定していそうだったので、思いつきで富山ライトレールと富山地方鉄道富山市内軌道線に乗りに出かけました。

その帰りの2日は、富山県高岡市の万葉線に乗ってから帰るか、それとも高山本線の普通列車で本州を縦断するか迷いましたが、結局万葉線は次回に譲り、高山本線の旅を選びました。昨日の「臥龍桜」の写真もその道すがら撮影したものです。どちらにしても2日は、丸栄百貨店の「鉄道模型展」の準備のため、夕方には名古屋にいる必要があり、久しぶりの『ノンビリ鉄旅』を楽しむことにしました。

上段写真は高架工事真っ盛りの富山駅。(1日に宿泊した『富山エクセルホテル東急』の部屋から撮影)
下段写真は富山駅に停車中の8:14発の850D「猪谷」行きです。一見3両編成に見えますが、実際は前の2両の編成で、「速星」まで通学する高校生で満席どころか立っている人も多く、私は何とか座れた状況でした。それにしても男子高校生の大人しさに比べ、女子高生たちの元気さには圧倒されました。ただ通路に座りこんで喋っている姿はあまり褒められたものではありませんでしたが…。それでも通学で乗車する人がいるから『鉄道』が存在するのかもしれないと思っていたら、平成20年開業の「婦中鵜坂」で下車する通勤客も結構いて少々驚きでした。

(余談)
富山駅の現在の駅舎は、上段写真の真ん中左にありますが、元は右端の場所にありました。そのため改札からホームまでは少々距離があり、遅くとも10分前には改札口を通ることをお勧めします。私は7〜8分前の通過でしたが結構あせりました。

2012年05月03日 21時19分

「臥龍桜」(がりゅうざくら)をご存知ですか?

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岐阜県高山市一之宮町に『国指定天然記念物』の一本桜「臥龍桜」があります。臥龍とは龍が横たわっているという意味でしょうが、枝振りは正にその通りのイメージですね。ただ樹齢1100年の老木だけあり、枝の支え無しには姿は保てないようです。(この桜の説明は「飛騨一之宮観光協会」のHP等を参考にしています)

この写真を撮影したのは昨日(5月2日)の10時32分頃で、文字通りの『満開!!』。今年も見事に咲き誇っています。桜の花は本当に『日本の春』を感じさせてくれます。ただゴールデンウィークの最後の日まで、私たちがこの美しさに魅了されることができるかどうかは、ギリギリ大丈夫ではないかと期待しつつ、少なくとも散りゆく花は楽しめるのではと思っています。

ところでこの「臥龍桜」は下段写真でホームが写っていることでも分かっていただけると思いますが、何と高山本線「飛騨一ノ宮」駅から“天然記念物”を愛でる(めでる)ことが出来るのです。しかもこの2枚の写真は、「猪谷」発「美濃太田」行きの普通列車の車内から撮影したもので、列車から降りてはいません。「鉄ちゃん」の間でも知る人ぞ知る存在なのか、誰でも知っている存在なのかはともかく、実際に満開の「臥龍桜」をご覧になった「鉄」の方はそれほど多くは無いのでは?
※下段写真には花がいっぱい写っており、どれが「臥龍桜」かと言うと、ホームに咲いている花の左奥にあります。上段写真と枝振りで確認してください。

なお、特急の車内からでは「あっ」と言う間過ぎて、その存在を確認することすら困難という表現もあながち大袈裟ではないと個人的には思っています。

今日から暫く「桜通線の壁画」の話しをお休みし、高山本線ローカル列車の旅を綴ります。

2012年05月02日 23時48分

明日から丸栄百貨店で「鉄道模型展」。

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明日から名古屋・栄の『丸栄百貨店』で第9回「鉄道模型展」が開催されます。

昨年に引き続き、私が会員となっています「非営利活動法人(NPO)名古屋レール・アーカイブス(NRA)」では、写真展示を行います。今日の写真は、そのセッティングのスナップです。

今年のテーマは『名古屋を走ったなつかし・めずらしのJR列車」。NRAでは丸栄の担当の方と、“今年はどんなテーマで写真展示を行うか?”の相談をし、昨年の『名鉄特急歴代写真展』とはうって変わって「JR」にテーマを絞りました。で、テーマを絞ったまでは良かったのですが、『会』として保管している“JR”列車の手持ち写真の種類が意外と少ないのが分かり、かと言って新たに撮影することもできるわけではなく、それこそ会員の手持ちの写真を出し合う総力戦となりました。

(主な写真)
*新幹線100系食堂車
*371系『あさぎり』検査試運転(名古屋市内で撮影)
*ユーロライナー
*キヤ97
その他、東海3県(一部静岡県にて撮影)を走った列車達の写真を用意しました。

「鉄道模型展」の入場料は大人300円です。5月8日(火)まで開催しておりますので、鉄道模型を楽しみつつ私達のブースにもよろしければお立ち寄りください。

※私の撮影した写真もありますが、今回の展示は『会』として行っていますので、撮影者の個人名は出していません。

2012年05月01日 19時40分

地下鉄桜通線の壁画(6)丸の内U。

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名古屋市営地下鉄「丸の内」駅の改札外で『桜通線』と『鶴舞線』を結ぶ連絡通路は、間違いなく通ったことがあるはずなのですが、上段写真の様に「天井が低い!」ことを発見しました。
ましてその低くなった場所の両サイドに壁画があることは意識した事がありませんでした。

*タイトル…「玄耀〈はるかなるものへ〉」
*作家…デザイン:三塩英春
    製作:日本碍子、シントクナショップ
*寄贈…日本碍子(株)、松下電工(株)
*完成年…平成元年
*大きさ…高さ2m35cm、長さ…12m

なお、上段写真の右側の壁面には「松下電工」の名前があり、左側の壁面に「日本碍子」の名前が嵌め込まれており、そこから察することが出来るのは、2面ある壁画のそれぞれをそれぞれの会社がスポンサーとして作ったのではないかということです。ただそうとも言い切れないと思うのは、『共同出資』『共同製作』も考えられるからです。もっともこの2つの壁画が一対で一つの作品であろうことは私の見当違いではないはずです。

さて、先回の「美術の著作物等の利用」ですが、まず絶対条件は、その全容(上段写真のような)を必ず見せる事です。それがあって初めて下段写真の様な私の気になった(心惹かれた)部分の使用が可能となります。

返して言えば、下段写真のような「作品の一部」を集め、それでも『何枚かをひっくるめれば全容が分かる』であろうとしてUPすることは不可だと考えます。くどいようですが、まずは1枚の写真の中に作品全体が写っていることがマストです。
著作権豆知識でした。

2012年04月30日 18時56分

地下鉄桜通線の壁画(5)丸の内。

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今回、壁画の話しをUPしている理由は、名古屋市営地下鉄の芸術散歩だけが目的ではありません。日常的に利用する駅も、その気になって観察すると思わぬ発見があるからです。
そもそもこれまでも、そしてこれから紹介する駅で、下車した事が無い駅は、ゼロでは無いもののはっきり言って少数派です。中には何度も利用しているにも関わらず完全に壁画がある場所を咄嗟に思い出さなかった駅は結構あります。

ここ丸の内駅もその一つです。その具体的な話しは、申し訳ありませんが、次回にさせて頂きます。

今回の壁画は、
*タイトル…「銀河の音楽〈LA MUSICA DELLE Galassie〉」
*作家…サビーノ・ヴェントゥーラ(イタリア)
*寄贈…(株)ビオット
*完成年…平成元年
*大きさ…高さ2m10cm、長さ…12m

ガラスアートにも見えますし、磁器にも見えますし図案も含めてちょっと不思議なアートです。
実は今回、作家と寄贈者を検索したのですがサビーノ氏はやはり現代ガラス作家のようで、下段写真の作家のサインが印象的でした。

ところで私が今回、壁画の写真をUPするにあたっては著作権法に則って書いています。
気になる写真の利用ですが、著作権法第46条に「公開の美術の著作物等の利用」があり、詳しい話しはここではしませんが、何れにしろ公開されている美術品はこのブログの様な使い方は問題が無いと考えています。ただ条件は幾つかあります。(次回説明)

※著作権法46条のみならず、著作権法の解釈は個別に検討しており、使い方によっては、この壁画写真のブログでの使用を避ける場合もあります。皆さんも著作物の使用方法で心配な場合は、『公益社団法人著作権情報センター』を検索し、そこに問い合わせることをお勧めします。丁寧に教えてもらえるはずです。

2012年04月29日 20時20分

地下鉄桜通線の壁画(4)国際センター

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ゴールデンウィークです。
3連休の中日、近所の公園で「鬼ごっこ」をする子供たちを見かけました。車を運転していた時の信号待ちの出来ごとでしたが、私は逃げる側の子供たちの動きを後ろから見ていました。勿論、公園の真ん中でキョロキョロする“鬼”の子の行動も見届けていたのですが、逃げる側の子供達の方が、“鬼”をまるで何かのターゲットの様に探り、仲間の位置も確認しつつ隠れるためのベストポジションを選んで行動しているのが印象的でした。

等とここで書く以上は、何がしか私の中で「鉄」のイメージが働いたからで、まあどうということは無いのですが、車両や駅の写真を撮影する時の場所選びに際し、右に左に動く自分の姿を後ろから冷静に見ている非「鉄」の方は、きっとこんな感じなんだろうと思った次第です。もっとも鬼ごっこの子供たちのように可愛くは無いでしょうが・・・。

さて、ここから今日の話題です。「国際センター」駅の壁画ですが、

*タイトル…「夢のあしあと」
*作家…作野旦平
*寄贈…ダイコク電機(株)
*完成年…平成元年
*大きさ…高さ2m50cm、長さ…15m

場所は改札を出て左に少し言った場所で、これまでの壁画もそうですが、“manaca”を「ピッ」とやった後に『どっちにあるのだろう?』と、目が泳いでしまいました。
(すいません。使ったのは「ドニチエコきっぷ」でした)

駅員さんに聞けば直ぐに分かるのですが、今シリーズでは聞かずに自力で捜しています。そのため思わず時間がかかった駅も実際にはあったのですが、「国際センター」は直ぐに見つかりました。

肝心の作品ですが、ガラスのモザイクという表現で間違ってはいないと思いますが、独特の世界観が寓話のようにも見えました。(あくまでも個人的な感想です)

2012年04月28日 21時54分

平成24年4月25日、『保存・復原工事』中の東京駅。

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「東京駅丸の内駅舎」の『保存・復原工事』が着々と進み、徐々にその姿を現し始めました。

撮影したのはこの4月25日で、まず駅舎を正面から全て入れられないものかと、駅舎を抜けて正面の道路を少し歩いたのですが、私のカメラのワイド端では収まらず、上段写真が精一杯でした。その撮影ポイントまで行く手前で、中段写真と下段写真を撮影しています。
まだ全容が見えているわけではないのですが、もともと私自身、実に“優美”だと思っていた「丸の内駅舎」が、建築当初の『写真でしか知らない世界』を抜けだし、『現実の世界』にやってきたのを見て、その創建時の姿を『保存・復原』する意味合いを深く感じることになりました。
大袈裟ですが、この工事中の写真自体も東京駅の歴史の一ページであるとさえ思っています。もっとも下段写真のドームが見えていなかったときにも写真を撮っておくべきでした。

ところでゴールデンウィーク明けの5月8日から「東京ステーションホテル」の予約が始まります。きっと当分の間は予約困難間違いなしでしょう。(宿泊料金はそれなりですが、私も何とかやり繰りし、一度は泊ってみたい)

閑話休題;日本語の話しですが、タイトルにもある『復原工事』の文字ですが、最初『復元工事』と打ち込んでいました。JR東日本のHPや工事を行っている鹿島建設のHPに『復原』とあり、えっ?『復元』とは違うの???と考え込んでしまいました。
少し調べてその違いが分かったのですが、一言でいえば「再現」的なモノが『復元』であり、「時間の経過で形が変わったものを、資料等の根拠に基づいて正確に元に戻す」のが『復原』のようです。
今回、この記事を書く際にもう一度『JR東日本』のHPをちゃんと確認して「鉄」的には良かったと思っています。それにしても新聞社のネット版では『復元』の文字も見受けられ、では『復原』を使わないかと言えばそんなことも無く、返す返すも日本語は難しいと感じました。

2012年04月27日 21時39分

スギテツさん、「ラッキーブランチ!!」に出演。

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お馴染みの「杉ちゃん&鉄平」さんが「スギテツ」を正式名称にされました。
で本日(4月27日)、午前の情報番組「ラッキーブランチ!!」(10:53〜11:25)にお二人がいらっしゃいました。写真は、その番組終わりで司会のきくち教児さんと一緒の1枚です。真ん中に私がいるのはご愛嬌ということで…。

生放送ですので、このブログを読まれている方では恐らく見られた方はいないとは思いつつ、「鉄」系音楽の演奏は当然あったのですが、今回の出演の理由は、中京テレビとブリヂストンスポーツが毎年5月に開催している女子プロゴルフ大会「中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン」(今年は5月18・19・20日)が30回目を迎え、その記念すべき大会のテーマ音楽を作曲・演奏されていることによります。

曲名:ALBATROSS(アルバトロス)
   ※「アルバトロス」とはゴルフ用語です。
作曲:杉浦哲郎
演奏:スギテツ

是非、テレビの放送でお聞きください。

もう一つ、彼らのコンサート『THE BEST OF冗談音楽2012』が5月10日(木)、名古屋クラブクアトロ(パルコ東館8F)で行われます。詳しくはスギテツさんのHPでご確認ください。
「鉄道」系は、、、お楽しみに。

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和29年生まれの57歳。昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務め現在は編成局。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。
鉄道歴は小学校5年からスタートし46年になる。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!